根腐れという言葉は
腐る・・・・・
この腐るという言葉は・・・菌の働きからみれば腐敗菌によって腐る!
根が死ぬ・・・・
ラン栽培で根腐れというは、ほとんど根が死んだ・・・という状態。
なぜランの根が死ぬ?????
ランの根はラン菌と共生している「菌根」である。
この菌根という根は、共生する菌のいない状態では・・・・
些細な不適合条件で簡単に死んでしまう。
人間の胃にビフィズス菌がいなければ・・・健康を維持できない。
乳酸菌がいなければ・・・ピロリン菌の繁殖を抑制できない。
微妙な微生物バランスで健康が維持されている。
ところが、ラン栽培では・・・どういうわけか菌根植物であることを知っていながら、
このラン菌、微生物バランスに焦点が当てられたことはない!
クローズアップされたことがないのである。
ラン栽培、農業、植物栽培の盲点である。
焦点は植物工場のような・・・近代的な????・・・化学的な????
無機化学農業、植物栽培である。ラン栽培もこの流れの中で行われて来た。
菌根植物という根本が・・・・どこかに捨てられてきたのである。
ラン菌削除の用土で栽培する限り、根が死ぬことを防ぐことは出来ない!
鉢内を浄化できないからである。
肥料を与えれば硝酸態窒素が蓄積する。
老廃物質は蓄積する。
その条件が揃えば・・・必ず嫌気性菌・・・・腐敗菌、ナンプ菌が大増殖する。
そういう鉢にはこういう菌を抑止するものがない。
清潔であるはずの水ゴケ、軽石、バークが・・・最も不潔なものとなる。
菌根は少しばかりの水で簡単に死ぬ。
鉢内の微生物バランスが・・・自生地と異なるからである。
自生地では、ランの根は簡単には死なない!
ラン菌の働きである。
脆弱なプロトコームが生きられる・・・・清らかな環境が枯れ葉の中に構築されている!
写真
ウズラバハクサンチドリのプロトコーム
SUGOI-ne2号ゴールドに播種し発芽したもの。
ラン科植物26000種は、全て枯れ葉、植物死骸の
リグニン、セルロースがラン菌で朽ちる・・・・
炭素循環のエリアで発芽し、プロトコームを形成する。
自生地というのは、このプロトコームが数ヶ月から数年
にわたって生存し、生育できる条件が揃っている場所である。
したがって、この条件が揃わない砂漠、一年中氷の
エリアにはラン科植物は自生できない。
水ゴケ栽培のようなカラカラ乾燥では、
数時間でプロトコームは死ぬ!
自生地には必ずプロトコームが生きられる湿度が
常に保たれている!
写真
SUGOI-ne2号ゴールドで発芽したシラン。
自然界では枯れ葉の中でプロコームは生きる。
この枯れ落ち葉が堆積した場所の湿度は、
プロトコームが生きられる湿度が保たれている。
全てのラン科植物は同じである。
この枯れ落ち葉は腐敗しているのではない。
静かに徐々に朽ちるのである。
ラン菌は好気性菌の材木腐朽菌である。
腐敗させる菌ではない。
朽ちらす菌である。
これまでのラン栽培の焦点は何か。
人間がラン科植物を始めたときから今日まで、
栽培の焦点は「根腐れ」の問題であった!
菌根植物の特異性。
共生するラン菌のいない用土での栽培。
あまりにも簡単に根腐れする。
ラン栽培での問題の約80%以上は根腐れ対策防止に焦点がある。
水ゴケ、軽石、バーク、ヤシガラ、杉皮・・・・ヘゴ、オスマンダ・・・。
保水性がよく、排水性が良い素材は、地球上のほとんど全てのものを、
ラン栽培では使用、検索されてきた。
更に、鉢の質、形状まで・・・。
あらゆる方向に焦点を合わせて研究されてきた結果が現在のラン栽培である。
しかし、盲点がある。
ラン菌が生息しない用土であるという点である。
これまでの用土、栽培法には、このラン菌削除という一つの・・・・
菌根植物の絶対の盲点があるために・・・・
根腐れは・・・永遠の問題となっているのである。
そういうことで、ラン栽培講習会は、水ゴケの植え方講習会である。
水ゴケでラン栽培出来ることを発見した人はスゴイ人だった。
しかし、SUGOI-neの開発で、水ゴケ栽培は過去になった。
これまでの用土、栽培法では、逆立ちしても・・・ラン自生地を再生できない。
一度破壊された自生地を再生できない!
ラン菌が生きているSUGOI-neなら、自生地を再生できる!
だから、SUGOI-neは・・・一つの革命なのである。
宇井清太はラン菌に焦点を当てた。
プロトコームに焦点を当てた。
ラン菌による炭素循環栽培法。
これまでの植物栽培の盲点を、見事に解決した栽培法である。
疑問に明解に説明できる。
良くみればなずな
花咲く垣根かな 芭蕉
芭蕉のこの句は自然観察の大切さを詠んだもの。
良くみれば・・・。
垣根の地面にはナズナの生態系があるという・・・・こと。
他の場所では別な草が生えているのに・・・・垣根のある非常に狭いエリアに・・・
ナズナが健気に小さな花を咲かせている・・・・。
この良くみればの視点が・・・・近代科学が・・・・全体を見ていないという盲点があったのである。
ところが近代科学は見る対象物を部品に仕分けして、その一つ一つを詳しく調べてきた。
植物に関する科学も同じである。
光合成。
肥料。
温度。
湿度。
PH。
風。
個々のことは調べ尽くされてきた。
しかし、ランの自生地を再生することは出来ない。
なぜか・・・・????
ランのライフラインをこれまでの用土では作ることが出来ないからである。
2011年3月の東日本大震災。
被災地のライフラインは壊滅。
山堀り・・という行為は、ランからみれば津波のようなもの!
ライフラインの破壊である!
ラン菌の生きていない鉢は仮設住宅のようなものである!
ランの自生地には何百万年の年月をかけて構築した生態系、エコシステムがあるからである。
つまりラン菌との共生というシステムを作り上げてきたということである。
1個のランのプロトコームを・・良くみれば・・・自然の法則が見える筈である。
プロトコームが生存出来る生態系。
プロトコームが生きられるライフラインが構築されているエリアが自生地である!
それがラン自生地にはあるということである。
地生ラン、着生ラン、腐生ランという仕分けの違いは人間が作った違いである。
そういう人間の仕分けは、ランのプロトコームの生態系から見た仕分け、分類ではない。
プロトコームが生きられる生態系は同じラン科植物26000・・・皆同じである!
枯れは、植物死骸。
セルロース、リグニン、ペクチン・・・炭水化物。
ラン菌。(材木腐朽菌)共生
糖、糖質。
温度。
水分。
植物必須元素。
光。
この光条件は、プロトコームの生態系で必要がないものである。
暗黒条件でも、ラン菌が枯れ葉を分解した糖が存在する条件があれば、光は必要ない!
更に成株でも腐生ランでは、全く光、葉緑素は必要ない。
ここに、植物でありながら、葉、葉緑素、光・・・・光合成といういうシステムを削除しても、
生存出来る植物が存在するということである。
この特性が、全てのラン科植物のプロトコーム時代に存在する。
このステージを経て、全てのランは生長するということである。
つまり、プロトコームが生存できない場所は、ランの自生地にはなりえないということである!
しかし、ラン栽培の歴史の中で、このプロトコームの全貌に視点をあて究明した学究はいない。
親株ラン菌発芽を成功させたドミニーも、培養土の開発まで発展はさせなかった。
無菌培養を成功させたナドソンもフラスコ内の世界に留まり、
自生地を再現する・・・・枯れ落ち葉の世界の・・・・微生物の世界まで展開しなかった。
メリクロンのモレルも・・・・
ウイルスとクローン繁殖に視点を置いた研究ではあるが・・・・
栽培の根本である培養土の開発研究は行わなかった。
ランの繁殖は遅い。
故に高価・・・高値の花であった。
ラン研究の視点は・・・・この200年間・・・繁殖、新品種作出、新種発見に
視点、焦点が置かれてきた。
用土の開発も行われてきたが、菌根植物であることを削除した用土である。
このランのランたるところが菌根であるということを忘れた研究は、
焦点がずれているから、理想的な用土は生まれなかった!
ラン菌が生きている培養土。
これこそが、ラン界のラン菌研究の最も重大な盲点である。
これまでのラン栽培の技術書は、この盲点を内蔵したまま書かれているという意味で、
砂上の楼閣のようなものである。
だからこそ、内外の栽培技術書を読んで栽培しても、説明できない場面に出くわす。
これまでのラン菌が生息しない用土では解決出来ない事態に問題に必ず遭遇する。
この問題を解決出来ないまま、世界中の有名、大ラン園が次々に挫折し姿を消した。
一個のラン菌が・・・大蘭園、名門ラン園を支配していたのである。
これは、口蹄疫のウイルスが畜産業を支配しているのと非常に似ている。
人間のピロリン菌も・・・・
園芸が、農業が、植物学・・・が今日のようになるまでには、
人間の科学する努力の結果である。
各分野に細分化された科学する学問、研究の集積。
そこには・・・・テーマ・・・・焦点がある。
自然を漠然と見たのでは根本、原理原則を見極めることが出来ないからである。
植物分類学。
「違い」・・・に焦点。
驚くほどの違いの観察が要求され・・・新種の発見・・・命名となる。
「イヌノフグリ」。
なぜ・・・こんなイヌの睾丸の名前がついた????
実の形が・・・犬の睾丸・・・インノウ・・・に似ていたから・・・・命名。
あの小さな花の実を・・・ルーペで観察した人。
ここまでやるか!
そういう視点と焦点を持つ人が世の中にはいるのである。
そういう人もいれば・・・・妻が・・・口紅の色を変えたことを・・・気付かない夫、男もいる。
ランを栽培していて、ランが喉が渇いているのも解からない人もいる。
自分が水を飲んでいながら・・・・。
近頃の言葉ではKY・・・とか。
空気が読めない。
ランの場合は生長が遅いいから、目に見えたときは、既に手遅れである。
微妙な気配を感じる己の感性を育むことが・・・結果的にランを育むことになる。
ラン、植物栽培は知識で育てるのでなく、感性で育てるのである。
温室に温度計をおいて温度を調べ温度管理するようでは、ランは育てられない場面が出てくる。
湿度管理も同じである。
機器に頼るのも一つの盲点である。
栽培本に頼るのも一つの盲点である。
結果を早く望むのも一つの盲点である。
密やかなランの、植物の変化が読めない。
ラン栽培、植物栽培は、黙して語らない植物の変化に焦点を・・・・目の焦点を・・・
心の焦点をピタリと合わせないと・・・枯らす・・・・残酷な愛好になってしまう。
盲点。
しかし、細分化された焦点は、逆に全体が見えなくなる危険性を孕んでいる。
現在は差別用語になっているが・・・
「3人の盲人の寓話」。
目の見えない3人の人が象を観察したとき・・・
耳を触った人は・・・象は「箕のように幅広い」動物。
鼻を触った人は・・・・太いホースのようなもの。
足を触った人は・・・・太い丸太のような動物・・・。
全てが正しいが、象全体の実像を見たことにはならない。
しかし、この寓話は偏見である。
健常者は、目が見えるから五感、第六感が鈍感になる弊害がある。
目に見えるものしか見えない・・・解からない!
微生物は見えない。
ウイルスが見えない。
ラン菌が見えない。
・・・・自生地の枯れ葉の中のプロトコーム・・・が見えない。
ランの美しい花に目を奪われて。
植物の喉の渇きが見えない。
温度計、湿度計が指示する目盛りは見えるが・・・。
焦点も盲点も視野も・・・人間に目があるから生まれた言葉のようであるが、
目があるが故に・・・見えないことも多い。
視野が狭くなることもある。
専門家・・・別な言葉では・・・視野が狭い・・・事に通じる。
佐渡のトキ。
天敵から8羽殺害。
これと同じことが、ラン、ラン栽培にもあるのではないか?
植物、植物栽培にもあるのではないか?
作物栽培にもあるのではないか?
ランが菌根植物であること。
植物の自生地、ランの自生地には必ず枯れ葉、植物死骸があること。
ラン菌の働き。
ランの自生地には必ずプロトコームが生きられる湿度があること。
盲点。
網膜には・・・スクリーンには1ヶ所映像が欠けるところがある。
約100万本の視神経が束になっているところ。
焦点が結べない所である。
ラン栽培の盲点
それは何か。
ラン菌である。
ラン菌が生息している用土の開発であった!
SUGOI-neを否定した人には盲点と視野狭窄の人が多い。
水ゴケでしかランを作れない人。
水ゴケがもし輸入できなくなったら・・・ランを作れなくなるではないか?
プロなら・・・即、経営破綻ではないか?
水ゴケは日本の山には・・・既に無い。
経営を持続させるには・・・ここまで想定していなければならない。
ランの世界にも・・・愛好の趣味の世界とは異なった・・・別な世界もあるのである。
馬の世界も・・・・・原種、野生馬の飼育保存もあれば、ダービー馬の育種の成果が走る世界もあるのである。
原種崇拝、山堀リ崇拝?
しかし、その崇拝者が毎日食べているご飯も、野菜も、果物も・・・・全部・・・育種された作物である。
こういう視野狭窄の盲点に焦点を当て、この講座は進めてゆく。
SUGOI-neを開発した理念は、マニアックな愛好の範疇の用土の開発ではないからである。
世界中にランの学究は多い。
ランの植物分類学者は多く、小さな花の変化、差異も見逃さないほどの鑑識眼を持つのに、
自生地に棲む・・・ラン菌に焦点を絞る者はいなかった!
何故なのか???・
この講座は・・・ここに焦点を当てるものである。
このことが、現在のラン、園芸、農業のもっも大きな盲点である。
巨大なブラックホールなのである。
更に、SUGOI-neを否定する人の心にある盲点、ブラックホールなのである。
ラン菌に焦点を合わせて栽培すれば・・・・
SUGOI-ne栽培は大成功する。
視点と焦点と盲点と視野と
近代科学は自生地の生態系を削除してきた。
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